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tome365

Author:tome365
高倉勝子美術館「桜小路」
Katsuko Takakura Art Museum
登米市登米町出身
日本画家 

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*のこり僅か*
おはようございます

今朝、パラパラと雨が降った登米市。

湿気が多くなり、ジメジメしています。

現在、髙倉勝子美術館では、二種類のポストカードを販売しておりますが、

開館当初から販売している「少女」や「虹」などがセットになっている

「ポストカードコレクション」は、現在の在庫をもって販売終了となります

残りわずかとなっておりますので、お早目にご購入ください

「ポストカードコレクションⅡ」は、引き続き販売しております

皆さまのご来館お待ちしております

えはがき

絵はがき


髙倉勝子先生について | 08:55:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
芸術の秋本番 取り入れの秋本番!稲の収穫作業 どんどん進む
こんにちは

本日のブログはAWがお届けします

収穫作業を見ていると大型コンバインが見ている間に

広い田圃の稲を刈り取り脱穀し、いっぱいになった籾を

待ち受けていた軽トラに積み込み乾燥施設に運びこみます。

その施設で、ある程度乾燥させた籾を

直ちに調整し玄米にしてしまいます。

この一連の作業を「稲刈り」と言っていいのかどうか迷います。
 
昭和三十年代まで稲刈りから脱穀まで殆ど手作業だったと思います。
 
現代の秋の取り入れの様子を当時の人が見たらどう思うでしょうか?

A・Wの畑のすぐ前の田圃で稲刈りが始まっていました。

昔ながらの稲刈りの様子が見られたので

嬉しくなり思わずシャツターをきりました。

稲刈り
・・・ 稲を一株一株鎌で刈っていきます ・・・

稲刈り1
・・・  刈った稲を束にします・・・
 
このような作業は一日中続きます。
 
腰が痛くなり、背伸びが出来なくなる程疲れてしまうそうです。
 
でも、今は稲刈り機械「バインダー」でたちどころに刈ってしまいます。
 
刈った稲は棒架けにします。

稲刈り2
・・・ 田圃に挿した稲杭に1束1束架けて行きます ・・・

稲刈り3
・・・架けた稲束がだんだん高くなると脚立を使い棒の上まで稲束を重ねて
一本の棒架けにします・・・
  
稲束を棒にただ架けて行くのではありません。
 
穂がお日様に良くあたり、風通しが良いように

棒架けに強い風が当っても倒れないように

バランスをとりながら棒に架けていくのです。
  
なかなか経験のいる作業なのです

稲刈り4
・・・夕方になると、こんなにも見事に棒架けが並んでいました。・・・
 
米つくりは、種籾選びから玄米にするまで88回も

手がかかると昔から言われてきました。
 
でも、今はずい分と機械化され、

手間がかからなくなり楽になってきました。
 
髙倉勝子先生は著書の中で幼き日の事を

次のように述べられています。
 
「八歳の時、一家の主となり、使用人たちと泥まみれに
 
なって懸命に働き、日々の生活は厳しかったけれど、反面
 
素晴しいものとの出会いがありました。それは、季節毎に
 
変化する大自然の中の樹々の肌や葉の色彩です。雨の日
 
雪の日は悲しく辛いけど、紫銀色に烟る山並の荘厳さ。
 
暮色と茜色の雲の神秘。渓流のざわめき。すべて私を
 
育ててくれ、今なお、瞼を閉じても鮮烈に迫ってきます」と。

・・・日本画家髙倉勝子先生の創造の源泉・・・は小うした環境の
 
もとに大きく育まれました。
  
「芸術の秋」 
   
どうぞ、髙倉勝子美術館「桜小路」にお出で頂き
  
・・・髙倉勝子画伯の芸術の世界・・・

を充分に御堪能頂きたいと存じます。



髙倉勝子先生について | 10:35:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
夢紡ぎ、ロマン描いて
目を閉じると 浮かぶのはいつも故郷の景色。
厳しくも、父母、祖父祖母に 愛情を注がれた幼少時代。

長くつらい 通学路は
私に 自然の色彩の美しさと
空想にふける時間をくれ、
多少のことではへこたれない、精神力と脚力を
はぐくんでくれた。


それは、私の資質となり、原点に…

祈る心、生きることへの感謝は
私をますます絵に向かわせた。


それしかない、
そうとしか思えない…。

田舎育ちの私の想いは、ただただ真っ直ぐ。



一生、描(えが)き・つらぬいて。



ありがとう ふるさと。

ありがとう お父さん、お母さん、私を産んでくれて。


感謝の涙の一滴は、いつしか一つの川の流れになり…

それが一人でも多くの方に、お役に立てますように、
喜び・恵みを与えられますように…。


私は 
人生をかけて
夢を紡いで、 ロマン描(えが)いて。


私は 愛する<ふるさと>の一部になる。



髙倉勝子

DSCF8781.jpg


(この文章は、髙倉勝子先生の気持ちになって書いたものです。)

スタッフK

登米市髙倉勝子美術館
所在地:宮城県登米市登米町寺池桜小路88-1
電話・FAX:0220-52-2577
開館時間:午前9時~午後4時30分
入館料:一般200円、高校生150円、小中学生100円
休館日:12月28日~1月4日のみ






テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

髙倉勝子先生について | 09:45:45 | トラックバック(0) | コメント(0)
祖母との思い出
髙倉勝子先生の画集のコメントをもとに、
髙倉勝子先生と、実のおばあさんとの思い出を
少しだけご紹介したいと思います。


髙倉勝子先生のおばあさんは、
おじいさんと同じく、信心深い方で
不動明王をことのほか信仰していたそうです。

幼少時代の髙倉勝子先生を、
里山の、不動明王が祀られた社(やしろ)に連れて行って
拝ませたほどだったといいます。

おばあさんは、
(不動明王様に)「願」をかけたら、必ずご利益(ご利厄)がある、
といつも髙倉勝子先生に話していたそうで、
髙倉勝子先生もそんな力にあこがれを持ったそうです。

毎月28日は、お参りのため、朝早く起き、
小一里の道をおばあさんと一緒に歩いたそうです。

それは、髙倉勝子先生が東京の大学に入ってからも続いたそうで、
(おそらく、夏休みなどで帰省した際だと思われます)
おばあさんは、遠い東京から久しぶりに帰省した、孫(髙倉勝子先生)と
不動明王の社まで一緒にお参りをするのを楽しみにしていたのではないでしょうか。


そんな信心深く、情の深い、優しいおばあさんに育てられた
髙倉勝子先生。

髙倉勝子先生の生き方、
作品に、
その思い出は刻みこまれていることでしょう。


髙倉勝子先生の 厳しくも、愛情たっぷりに育てられた幼少時代…
楽しく、なつかしい思い出は、彩り美しい作品へと姿を変えて…


当館での髙倉勝子作品の鑑賞を、どうぞお楽しみ下さい。

皆さまのご来館をお待ちしております。

スタッフK

登米市髙倉勝子美術館
所在地:宮城県登米市登米町寺池桜小路88-1
電話・FAX:0220-52-2755
開館時間:午前9時~午後4時30分
入館料:一般200円、高校生150円、小中学生100円
休館日:12月28日~1月4日のみ








テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

髙倉勝子先生について | 09:36:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
奥の細道シリーズその2
こんにちは

本日のブログはAWがお届けします

4月末からの連休も過ぎ去り爽やかな空に

緑のそよ風が頬を撫でて行きます。
 
ゴールデンウィーク中 みやぎの明治村をはじめ登米市内では

いろいろなイベントが催され多くの皆さんにお出で頂きました。

髙倉勝子美術館「桜小路」では、春の特別企画展「お花見展」開催中で

たくさんの方々に 髙倉勝子芸術を御堪能頂きました。有り難うございました。

さて、今日は、「おくのほそ道 シリーズ2」をお送り致します。

「・・・・・心細き長沼に沿ふて 戸伊麻といふ所に
 一宿して平泉に至る・・・・・」


気仙沼に行くという石巻の案内人と柳津で別れ

北上川の土手を北上し「戸伊麻の渡し」に着きます。

奥の細道1
――― 当時の北上川渡し場付近の略図 ―――

・舟渡しは2ヶ所ありました。

  御成河岸・・・参勤交代の折り登米伊達家の利用の舟渡し場

  荒町舟渡・・・一般庶民利用の渡し(無料)


  ~ 桶 ・・・商家専用の河岸

  芭蕉さんと曽良さんは荒町舟渡を利用し登米(とよま)の町に入りました。

  かねて宿泊を約束していた儀エ門宅では本人は不在で

  泊まることが出来ず、検断庄左エ門宅に宿泊しました。

奥の細道① 
――― 芭蕉が舟渡した場所に生い茂る樹齢400年以上の
公孫樹の大木 ―――

様々な歴史を見つめて来たのでしょう。

この木の下に立つと、芭蕉さんと曽良さんが

平泉を目指している姿が目に浮かんできます。


・・・・・ 芭蕉と所縁のある句碑 等 ・・・・・
奥の細道②
――― 芭蕉一宿之跡 ―――

この碑は、芭蕉たちが宿泊した家の裏にある北上川沿いの

登米大橋の辺にあり、揮毫は、河東碧梧堂の書であり、

おくのほそ道の碑の中でも最も優れたものの一つと

言われています。
 
―――旧登米高等尋常小学校敷地内にあるおくのほそ道の一文―――

――― 登米神社境内にある芭蕉の句碑 ―――
「降らずとも 竹植うる日は 蓑と笠」
  
この句は「笈日記」に収められていて、宿泊した日と

所縁のある句ということで選ばれたようです。


曽良の随行日記には次の様に記されています。(石巻から登米まで)

  十一日(旧暦 5月11日) 天気能石ノ巻ヲ立 宿四兵ヘ
  今一人 気仙ヘ行トテ 矢内津迄同道
  後町ハツレニテ離ル 石ノ巻 二里鹿ノ股
  一里余 渡有 三里ニ遠シ 曇 伊達大蔵
  飯野川 (此間山ノ 矢内津一里半 戸い満
  アイ長キ沼有)
  儀エ門ヨリ 宿不借
  仍検断告テ宿ス
  検断庄左エ門 (此間渡2ツ有)
【 随行日記  原文のまま 】


おくのほそ道を読んだだけでは、旅の詳しい様子について

分り兼ねますが、随行日記を合わせて詠むことにより

どんな旅であったのか、推測することが出来ます。


戸伊麻から一関迄の旅については次回にお送り致します。

みやぎの明治村 登米(とよま)も新緑につつまれ、

しっとりと落着いた中に、多くの皆さんに来て頂いております。

そんな中で、髙倉勝子美術館「桜小路」で春の特別企画展「お花見展」を開催中です。

いい季節に、素晴しい芸術を御堪能頂きたくあらためてご案内申し上げます。



髙倉勝子先生について | 17:21:25 | トラックバック(0) | コメント(2)
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