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tome365

Author:tome365
高倉勝子美術館「桜小路」
Katsuko Takakura Art Museum
登米市登米町出身
日本画家 

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悠久の流れ父なる川 母なる水 北上川(その1)
こんにちは

本日のブログはAWがお届けします

髙倉先生の大作 「北上山系」の冒頭に

「ふるさとの山河はいつ見ても美しく悲しい」とあります。

この言葉に誘われて、日根牛山の緑を見たく土手に上ってみました。

日根牛の山脈(やまなみ)は濃緑色に輝いていました。

今日のお空は久方ぶりに雲ひとつなく、穏やかな日和、

濃いみどりの山々を、雪代のおさまった北上の川面に映していました。

この光景をみていると、先生の大作「北上山系」を描いた心に、

「ほんの少しでも近づけたらなぁー」と思わずにはいられませんでした。
 
目の前の流れる川面を見ていると、もっと遡って(?)みたくなり、
 
上流に向かってアクセルを踏みました。

本来なら北上川の源流である、岩手の七時雨山迄足を延ばせたら

良いのですが、今日は岩手県境の中田町上沼小名倉で

我慢することにしました。
 
北上川
岩手県一関市花泉町と登米市中田町小名倉の県境の北上川
・・・・ 空は青く澄み 川面は藍色 漣一つなく悠久の流れを想う ・・・・

北上川1
現在の北上水系  ( 略 図 )

現在の水系になるまで、永い年月と歴史的変遷を経ています。
  
「北上川」という名称が初めて文献に見えるのは、鎌倉時代の史書
 
「吾妻鑑」の文治5年(1189年)9月27日条で「麓に流河ありて
  
南に落つ。これ『北上河』なり・・・・・云々」とあります。
   
北上川の名称は、この地方が古来[日高見国(ひたかみのくに)]と
  
呼ばれたことに基づくものであろうとも想像がつきます。
  
270もの支流をもって大河をなす北上川は、往古以来平泉藤原氏、

葛西氏の時代より船運は勿論、流域の地形を利用した城柵が築かれ
 
その地方の中心となってきました。
  
しかし、半面、暴れ川として大雨の度毎に災害をもたらしてきました。
 
伊達政宗公の時代になり、河川改修と新田開発のもとに、

登米伊達初代白石宗直公、二代宗貞公が永年に渡り荒廃した領地を

災害から守り、穀物の増収を願い北上川流域の改修と耕地の開発に努めました。

今に残る相模土手、そして、若狭土手と美田の広がる登米耕土です。
 
当時から近世までの北上川の整備について記すれば紙面がいくらあっても

足りない程なのでこのへんで留め置かせて頂きます。

こんなことを想いながら、中田町上沼小名倉から下流に向かって

車を進めました。

北上川2
・・・・・ 上沼大泉土手 (延長1370m)・・・・・
( 中田町上沼小名倉より上沼川欠方面を望む )

北上川は、登米伊達初代宗直公、二代宗貞公により

河川改修がなされ、相模土手・若狭土手が完成し

流域は美田に生まれ変りました。その後、幾度も工事が行われ

洪水の被害は減ったものの自然の脅威に脅かされること度々

ありました。その中でも、昭和22年カサリン台風、翌23年

アイオン台風、24年キティ台風と戦後の混乱期に3年連続で

台風の被害に見舞われました。特に、22年9月のカサリン台風は

一関を含めた岩手県南と登米郡(現登米市)の被害は筆舌に尽くし難い

悲惨なものでした。(当時A・Wは小学一年生、我家も水没し、兄に馬に

乗せられて高台に避難しました)
 
南太平洋マリアナ諸島東方沖に発生した台風は関東地方に

沿って北上し、三陸沖から北海道南東洋上に去った。
 
この台風は「風は比較的弱く、雨が極端に多い雨台風で、百年に

一度の凄まじい豪雨」で北上川上流・下流ともに水害に見舞われました。
 
9月16日午後9時登米郡上沼村の北上川右岸・大泉堤防全延長

1370メートルのうち、250mがついに決壊しました。
 
決壊場所は「ぉ鶴明神(後述)」の祠から程近く、

夏からの長雨で堤防はたっぷりと水を吸い込み
 
脆弱になっていました。

北上川3  
/・・・・ 決壊場所の大泉堤防由縁の碑 ・・・・・
   
(危険をかえりみず地域総出で必死に水防に当たりました)
 
決壊により登米郡一帯が水没。
  
多くの人命と家屋・財産、農地や収穫間際の稲や農産物が失われました。
   
当時の様子を多くの方々が今もなお語り継いでいますが、
  
帝京大学高崎哲郎教授著「修羅の涙は土に降る」「沈深、牛の如し」に
  
詳しく表されています。
   
また、当時、水防や避難の陣頭指揮に当たった佐沼警察暑髙橋秋夫署長
  
は「北上川大泉堤防決壊に伴う遭難記」や建設省(発行当時)東北地方建設局
  
監修「北上川百十年史」などで詳しく知る事が出来ます。
 
大泉堤防にただずみ、川や田圃を眺めていると、決壊で現れた

往古の遺跡や北上川をとりまく歴史など、拙い知識ながら思いつき、

なかなか川を下ることができませんでした。

そんな想いを次のブログで書かせて頂きます。



日本画・髙倉勝子作品について | 11:39:10 | トラックバック(0) | コメント(2)