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tome365

Author:tome365
高倉勝子美術館「桜小路」
Katsuko Takakura Art Museum
登米市登米町出身
日本画家 

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髙倉勝子ふるさと展にちなんで ー義経ゆかりの地を訪ねてーその③

  長谷山から対岸の楼台に渡る北上の流れは夏渇れで穏かであった。渡瀬と呼ばれる辺りから馬を進め、各馬は足が届かぬ水位で泳ぎ始め対岸に無事泳ぎ着いた。義経主従は馬の持つ能力や水中での戦の在り方など体得することができた。
 川を1里程下ると北上山地の南端に近い羽沢川に行き当たる。この地は藤原三代秀衡公から賜った領地で義経主従は幾度も訪れている。

 

 義経主従と所縁の深い「弁慶山」

弁慶山

髙倉勝子先生の生家にほど近い「弁慶山」は主従が戦の稽古をした場所とか、
雨にあい、甲冑や衣を乾かした松とか岩を地域の人たちは今でも語り継ぎとても
大切にしています。

  ・・・・・平成13年の作品に成沢上流(弁慶山)として描かれています・・・・・・  

  髙倉先生は自然の豊かさと歴史の遠大さを身に染込ませ幼き日々を過ごしたのでしょう。

    「故郷の山は河いつ見ても美しく悲しい」  

 先生の作品の中には必ずこの言葉、思いが根底に流れているのではないでしょうか。             


 登米八幡神社の武蔵坊弁慶揮毫の神額
神額

 

  文治元年(1185年)平家を西国で討滅した勝ち戦の祝いとして、秀衡公に頼み神額を奉納して宿願を果たした。その神額は武蔵坊弁慶の揮毫で、今もなお登米八幡神社に掲げられている扁額がそれであると言われている。                                                             
 弁慶の旗立岩

弁慶の旗立岩 

  義経公主従、羽沢峠を越え旭舘向かう途中、日根牛入谷羽沢川に二間ばかりの石面に拳を入れる程の孔のある自然石に主従休憩の際ここに来て、豪壮無双の武蔵坊弁慶が軍旗を立てたという。またすぐ近くに落差20メートル程の「鼻垂滝」があり、その落ちる様はまことに絶景で、冬には見事な氷柱を見せてくれていた。今は上流が枯渇しその様を見ることができず残念です。

   
八坊返し<八坊戻し>

八坊返し       

   日根牛入谷と羽沢地区の中程に「八坊返し<八坊戻し>」というところがります。今は道路も舗装され大型自動車も通行できますが、かつては山が迫り道も無く人家もなく奥果てなき場所で羽沢の難所の一つとされていました。義経主従は進むのをあきらめて戻ったとも言われています。義経主従は山伏姿であったことから「八坊戻し」とも言われています。

 
羽沢の終点 「 馬 鞍 」

馬鞍  

  登米町と南三陸町志津川との境界与手五郎峠の附近に馬鞍という地区があります。口碑によると義経公が峠越えをするとき、愛馬を労り馬の背から鞍を下して峠越えをしたという事からこの地名が生まれたと言います。 (同じような口碑が石巻市北上町馬鞍地区にも伝わっています)

 
与手五郎峠(登米町と南三陸町の教会)

与手五郎峠 

   標高約400メートルで左前方の平地にはかつて大伽藍が建って志津川地区ではオオガラヤマと呼んでいた。

 

オオガラヤマより志津川湾を望む

オオガラヤマ


  旭舘を望む
旭館

義経公主従辿った旭舘は志津川入谷にあり、眼前に保呂羽山がそびえる自然の地形に僅か土塁で補強して山頂を均した場所に建てられ、旭ヶ浦が一望できる平屋造りの舘であった。
この舘の主は平泉藤原氏三代秀衡公四男「本吉四郎高衡」が舘主で、平泉の黄金文化を支えた入谷地方の産金の付与と金の買い上げ、農海産物の集積と平泉への駄送を司どっていた。義経公一行は旭城主高衡公に手厚い接待を受け、一路東浜街道を気仙沼を目指し出達した。
    

  この後④へと続きます🚙 お楽しみに!

新着情報 | 13:18:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
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