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tome365

Author:tome365
高倉勝子美術館「桜小路」
Katsuko Takakura Art Museum
登米市登米町出身
日本画家 

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髙倉勝子ふるさと展にちなんで ー義経ゆかりの地を訪ねてーその④
  旭舘を出発した義経主従は本吉地方の霊峰「田束山」目指し、
東浜街道をひたすら馬を進めた。


 伊里前方面からの登山道
田束山 


 南三陸町歌津地区より田束山方面を望む
修験の山 

 田束山は旧歌津町と旧本吉にまたがる標高512mの霊山で
修験の山
として崇められ、奥州藤原氏三代秀衡公が山頂に清水寺、
寂光寺、金峰寺や七十余坊を建立し、秀衡公四男本吉四郎高衡に
祀祭を司らせ、旭舘同様本吉地方の産金の付与と金の買い上げ・
農海産物等の集積と駄送を行わせていた。その後、時代の流れと
ともに穏かな衰退を続け現在に至っている。今は、山頂に経塚群
や、山腹には神社や寺跡などに往時の礎石を見るのみになってい
ます。


 田束山頂上
 (天気は良かったが風が物凄く強く立っていられなかった)
山頂 

 山頂より神割崎を望む
神割崎 

 霞んで見えるのは泊崎
泊崎 

 峻嶮な登山道は今は立派に
現在の登山道 

 本吉地方は奥州藤原氏の重要な所領であり、田束山は平泉の
田稲山にちなん
で名づけられたという。後藤三郎氏の「創作 金
売り吉次」によると、義経公主従は岩を削って乗馬がやっと一
列で通るほどの九十九折の道を人馬共に汗みどろで登り半刻程
で寂光寺に辿りつき馬を休ませた後、頂上の羽黒山清水寺まで
の岩道を義経公は人馬一体の訓練として最適と人馬で登りきっ
た。更に、山頂より麓に下り降りる際も人馬一体となり、馬上
の人は鞍に寝るようにしてにして重心を馬の尻にかけた。馬は
前足を伸ばし滑るまま前足を突っ張り後ろ
足で加減して石道の
急坂を降り終えたが、一頭の怪我馬も出なったという。義経公
はこの経験を活かし、平家追討の際、あの鵯越えの奇襲で勝利
を得たという。

   麓に降りた義経公主従は一息入れてから小泉蕨野という集落
に下り、一路東浜街道を気仙沼観音寺へと向かった。


    
本吉町小泉の町 
本吉町





さて、いよいよ次回は本シリーズ完結篇となります。

お楽しみに

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