2017-08-09 Wed
今日8月9日は「長崎原爆の日」
72年前のこの日
長崎市にアメリカ軍によって
原子爆弾が投下され
約15万人の尊い命が犠牲となりました。
この3日前の8月6日
広島市にも原子爆弾は投下されており
市内比治山の船舶砲兵団司令部に奉職する
陸軍中尉高倉文麿氏と二月前に結婚したばかりの
高倉勝子は 夫が勤めに出るのを見送って間もなく
8月1日から広島での新生活を始めたばかりの
爆心地から約3kmのところにある自宅で
被爆したのです。
九死に一生を得たものの
それからしばらく目にするものは
まさに地獄絵図そのものでした。
終戦後 宮城に帰郷し
自らもその一員であった
「宮城県被爆者の会」のほかの会員から
「あの体験をあなたの筆で表現してほしい」
との要請を断り続けたというのも
画家であればこそ人一倍の感受性で
より生々しく映像を伴って思い出してしまったのであろうと
至極納得がいくことだと思えます。
しかし 終戦から61年たった頃
被爆の惨禍を風化させることなく
後世に語り継ぐために勝子は筆を執りました。
そして完成したのが
『 原爆の図 ―三部作 』
平成21年10月の登米市高倉勝子美術館開館時より
ギャラリーに常設展示し続けております。


絵巻物風に仕上げられた作品の末尾には
帰郷叶って広島駅に向かう途中
当時 この先長いこと木も草も生えまいと言われた地で見た
クチナシと芙蓉の清らかな白い姿が描かれています。
この美しさを無残に踏みにじるようなことが
二度とあってはならないと強く思います。