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tome365

Author:tome365
高倉勝子美術館「桜小路」
Katsuko Takakura Art Museum
登米市登米町出身
日本画家 

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…あらためて 登米の町をみて …
こんにちは

お正月のテレビも少々飽気味、ある本を読みたくなり、

本棚を探していると
   
登米伊達氏開府四百年「荒れ野を拓く」― 伊達相模宗直物語 ―

が出てきました。
  
探していた本はそっちのけで読みあさりました。

「荒れ野を拓く」は、
  
平成16年は、登米伊達氏開府四百年に当る年で
 
様々な記念事業が開催されました。
  
その記念事業の一環として発刊された記念誌です。
 
登米の礎を築いた登米伊達家初代相模宗直公の物語です。
 
挿絵入りで大人も子ども親しみ易い歴史書です。
  
これまで何度も何度も読んできましたが、読む度に、
 
宗直公はじめ多くの先人の英知と御苦労が結集され、

今の「登米」があるのだという思いが高まってきます。
 
そんな思いであらためて開府当時の今尚残る歴史箇所を

散策してみました。

登米町
・・・・・ 寺池城址 東側門 ・・・・・
  
葛西家六代清貞の時代より主力が登米に移り
 
寺池城の築城は七代良清の時代といわれています。

登米町1
・・・ 二の丸 本丸方面を望む 
(中央に井戸がみられるが当時のものでしょうか) ・・・
 
葛西氏滅亡後 慶長9年(1604) 登米伊達初代白石宗直公

(後に伊達姓を賜る)は水沢から登米に入城したが、

打ち続く動乱と幾度となく続いた水害に領地となる地は荒れ果て、

居城は荒廃し、とても住めるような状態ではなく
 
宗直公自身は、水越村の百姓屋に起居し、家臣は荒廃した

寺池城周辺に小屋を建てて住み、城下の復興に精を出し、 

寺池城の修復に1年を要し、慶長10年暮れの12月末、

やっと入城できたということです。
  
以来、四代宗倫公の代に渡り町並が整備されました。

それは、城下そのものを要塞としてとらえ、軍事的な考えから

城の周囲に武家屋敷を配し、外敵からの城下を防御するため

足軽屋敷や寺屋敷を外部に配置した町づくりがなされた。
 
また、併せて商家等の配置も考慮した町並も形づくられ、

この配置は現在も残っています。

更には、荒地と化している領地を開拓する意味からも

河川改修により北上川の本流を変え大規模な堤防を築き、

今まで洪水の度に遊水地帯となっていた地域を干拓・開墾し

新田開発に力を注ぎ、米の増産につながり生産された米は

江戸・大阪での廻米は天下一と称されるまでになりました。
 
登米町2
・・・・・ 寺池城址を下ると、柳の木が目に入ります ・・・・・

「大手の柳 【駒繋ぎの柳】」(背景は髙倉勝子美術館)
 
標柱には、“県指定の天然記念物であった「大手の柳」は樹齢約

180年、樹高23m、樹周約6mで、江戸後期から

登米舘大手門にあり、地元のひとたちからは「駒繋ぎの柳」と言われました。

しかし、平成10年9月台風5号の強風のため根元近くから倒伏しました。

この柳は、その柳の枝を移植したものです “という説明書がありました。

今ある「大手の柳」は二代目ということになりますね。

登米町3
・・・・・ 鉤型小路 ・・・・
  
登米町全体が要塞としての区割りがなされており、

「鉤型小路」もクランク状につくられた道路割りは

城を守るため、軍事的手法を取り入れたつくりで、敵を

迎え撃つ防衛策としてつくられ、今もその形状を残しています。

登米町4
・・・ 鉤型小路より寺池城址を望む ・・・

登米町5
・・・ 武者隠し ・・・
  
鉤型小路同様軍事的手法でつくられた町並で
 
敵が攻めて来た時、武器(弓矢や鉄砲)をもつ足軽数人が
 
隠れて敵を迎え撃つために、道路に面して各家ごとに玄関

部分がノコギリの歯のようにジグザグに建っている。
  
現在もこの区域の町並と構造が今尚受け継がれています。

登米の町を一寸歩いただけても、400年以上経った
  
今尚当時の面影を残している場所が随所に観られます。
   
更には、維新以降、明治、大正、昭和、そして平成の文化遺産等も。
  
かつて、集英社文庫から発行された旅のイッセイスト福田宏年著の

「時刻表地図から消えた町」の中に「ロマン溢れるみちのくの町 登米」

が記載されていました。登米町の暖かい人情と歴史と文化の町・登米を、

作者は表題にのっとり全国十数カ所紹介しているが、その中で一番

心惹かれる町としています。(一泊の予定が去り難く三泊もしたそうです)
 
登米町が「みやぎの明治村」として、多くの観光客の皆さんに愛される

ようになる大分前に発行されたものですが、既に登米の素晴しさを認めて

頂いたものと思えてなりません。
 
「荒れ野を拓く」を紐解き、思わず散策し登米の自然や歴史、文化等の

素晴しさを再確認することが出来、これからも自信と誇りをもって

美術館を含め登米の魅力を皆さんに語って行きたいと思います。

本日のブログはAWがお届けしました





とよま町ご案内 | 09:41:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
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